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風の巻124・雨もまた・・・(2)

 京都の寺々を参拝するとたいてい多くの参拝者や観光客のみなさんで割合にぎやかな場合が多いのですが、今回はとても静かで、心行くまで情緒を味わうことができました。

 コメントで正解がでましたが、このお寺は「長谷寺」です。今は真言宗豊山派の総本山ですが、もとは西暦686年(朱鳥元年)に道明上人という方が当時の天武天皇のため「銅板法華説相図」というものをここらの初瀬山西の岡に安置したのがはじまりとか・・・。

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 本堂正面には「大悲閣」という額が掲げられています。その前にはどこかで見たような舞台がしつらえてあります。懸造りの舞台で立派なものですが、建物内部にも内舞台が設けられ、本尊の十一面観世音菩薩の前に大きく広がっています。

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  思うに、これぞ長谷寺というところが「登廊」ではないでしょうか。前回に上から眺めた写真を載せましたが、下からはこのように見えます。下廊・中廊・上廊と分かれていて変化を楽しむことができますが、勾配は少しずつ急になっていきます。でも、結構歩きやすく、三百九十九段も苦になりません。

 平安の昔、京の都からこぞって貴族たちが訪れたそうで、清少納言や紫式部も二度、三度と参拝に訪れたことを思うと、不思議な感じもしますね。

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 ほかにも、仁王門、五重塔など見どころもあり、ゆっくりと参拝するのにふさわしいところでしょう。参拝を済ませ、門前町のお店で、柿の葉寿司やにゅうめんなどを食べるのもいいものです。

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風の巻123・雨もまた・・・(1)

  その日は、結構な雨が降る天気予報で、ところにより風雨が強まり、雷の恐れもあるということでした。そこへ出かけるのを少しためらったのですが、午前中はまだ雨もひどくはないようでもあったので、お客さんをお連れして出かけました。

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  どこだかおわかりでしょうか?奈良のとある山中にあるお寺です。

では、次の写真をどうぞ・・・。

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 屋根瓦の見えているのは「登廊 」というものです。わかったきましたか・・・。

P1060022  花の好きな方なら、これでお分かりかと思います。

(続きと答えは次回のお楽しみに)

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森の巻134・ちょっと変・・・?

  こちらのほうでは割とありふれた樹木の一つなんですが、ソヨゴという木があります。波打つ葉っぱと赤い実が特徴的です。低い山の明るい道端などによく生えています。根が浅いので強い風で倒れることもよくあるようです。

 下の写真でも葉っぱの縁が波うっているのが目立ちます。風で葉っぱがこすれて”そよそよ”という感じからソヨゴと言うらしいのですが・・・。

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 これはその花です。実は雌雄異株なのですが、この花は雌花ですので雌株の木になります。雄株の雄花だともっとまとまってつきます(集散花序)。

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 ところで、実が黄色のものをキミノソヨゴといい、大変珍しいのですが、この写真を見ると実は確かに黄色のようです。撮影時期は10月11日なのでふつう実のできる時期ですので、赤いものが未熟な状態でもなさそうですが・・・?。

 では、同時になぜ花が咲いているのでしょうか?これもふつうなら5~7月頃に咲くので・・・??変ですね・・・。

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京の巻131・清水さんにこんなものが・・・

  京都といえば清水寺とくるでしょうね・・・。京都の人にも観光で訪れる人たちにも本当になじみの深いお寺です。歴史も古く、舞台を南面に備えた本堂はすぐに京都とわかるまさに”京の顔”ともいえるでしょうか。

 そんな清水寺にも本堂以外にも色々とみるべきものがありますが、こんなものもありました。

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 朱塗りの建物は仁王門です。産寧坂のほうから清水さんにお参りに来たらまず目に付く建物ですが、その向かって左手前におかれた石標がそれです。

 仁王門のことでも示してあるのかと思いましたが、そうではなく、測量の基準点ということでした。明治初期に京都の街の地図を作るため設けられた幾つかの基準点の一つなのです。

当時の内務省地理寮(いまの国土地理院)が設けたものなのですが、いつの間にか土中に半分ほど埋もれていて、掘り起こされたのは平成14年のことだそうです。

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 石標の上の縦長部分の下のほうが若干白くなっていると思いますが、そこの横にいった筋のあたりまで埋まっていたとか・・・。当時の観測点は27か所で、ここと同じような基準点は9か所とか・・・、でも今残っているのはこの清水寺仁王門横のものだけだそうです。ちょっと貴重なものですね。

 ちなみに写真に写っている御影石(花崗岩)の部分は「表示柱石」で各面に「測点」「地理寮」「明治八年」「明治十五年八月建地理局」とそれぞれ刻まれています。その下の黒っぽい板状のものは「保護蓋石」で地中に埋められている本体の「基準点標石」を保護する蓋です。

 

 こういうものが残っているのも大したものですが、ここから視準したのが「高瀬七条上る」、「六角堂」と「聖護院村」だそうです。当時は大寺院を除けば高層ビルなどもなくある程度見通しが良かっただろうとは考えられますが、一番遠いと思われる「聖護院村」あたりだと直線距離にして約3~4キロメートルあります。英国の測量技術で測ったとのことですが、3キロ先まできちんと測れたのが、とてもすごいことだと思います。

  やがてこの測量技術を身につけた日本の測量技師たちの力が、日本人だけでなしとげた琵琶湖疏水の測量技術へと発展していったのではないかと思われます。

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