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京の巻118・えっ!どうなってるの・・・

  京都にはお寺も神社も多いのですが、風変わりな様子も時々見られます。まずはこれを・・・

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な~んだ普通の鳥居ではないかと思われるかもしれませんが、よく見ると左右の笠木、島木という横に渡した部材の先が建物に食い込んでいます!両側のビルを建てるときに鳥居の先端を切り落としたのではありません。先端はちゃんとビルの中にあるのです。この写真では見えませんが、角度により先が見えるので、現地に行かれた時はちょっと思い出して、探してみてください。

 何しろこの鳥居は「錦天満宮」の鳥居で、天満宮というからには祭神は菅原道真です。道真の父である是善の屋敷があったところに「歓喜院」というお寺を創った時に鎮守社といして創建されたものです。その年代は1003年(長保五年)ということですから、ビルのために鳥居をどうこうするなどとてもできることではありません。

 秀吉の時代に今の錦通りの場所に移転してきたのですが、この1000年以上続く神社は、今も大勢の参拝客でにぎわっています。

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京の巻117・ここからも始まりです!

  前回は、応仁の乱の戦いが御霊の杜から始まったとの話をお伝えしましたが、そもそも平安京の始まりはこちらの場所だと言えるでしょう。みなさんもよくご存じの大徳寺のすぐ南西に位置する小高い丘で船岡山といいます。いわゆる観光地ではないので大徳寺に行かれても船岡山へ足を延ばすことはあまりないと思います。

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 いまは国の史跡とされています。この山は標高約111メートルですので、丘(岡)といってもいいでしょう。清少納言が「枕草子」で「岡は船岡・・・」とその第一に挙げているそうです。山頂近くの中腹には神社がありますが、秀吉、信長、明治天皇がキーワードとなる神社です。

 本能寺の変で自刃した信長の霊を弔うため秀吉がその廟所としたのが船岡山です。明治になってから明治天皇が信長をたたえるため神社の創建を決め、健織田社(たけしおりたしゃ)とされました。明治3年信長の子孫の屋敷のある東京に建勲社が設けられたのを、13年になって船岡山に社殿を建てて東京から遷座したそうです。それがこの船岡山の建勲神社(正式:たけいさおじんじゃ)です。

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 社殿は山麓から明治43年に今の場所に移されました。京都市民からは「けんくんさん」と呼ばれています。(京都の人はなんにでも「・・・さん」をよくつけます。)

 山頂には三角点があり、三等ですが、標識もありなかなか立派なものです。

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また、山頂の公園から西側を望むと「左大文字」が間近に見られます。

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 ところで、最初に言った平安京はここから始まったとは、次のようなことです。

 長岡京で腹心の部下が殺害されたり、早良親王の怨霊のたたりや風水害など困った出来事が多々起きてしまいました。桓武天皇は、もう一度都を移すことを考え、臣下の藤原小黒麻呂を葛野郡に遣わしその地が都としてふさわしいかどうかを視察させました。延暦12年の初めのころです。小黒麻呂は船岡山に立ち、四神相応の地かどうかを見極めました。北に玄武(船岡山)、南に朱雀(巨椋池)、東に青竜(鴨川)、西に白虎(山陰道)が認められるこの地を新しい都にふさわしいと判断し、今の京都が新都となる始まりとなりました。

 船岡山を起点として真南方向に都の中心となる大路(朱雀大路)が造られることになります。幅約85メートルもの大きな道です。これを境に西が右京、東が左京として都の区画が決められていったのです。

 朱雀大路は今の千本通で、その南には梅小路機関車館がちょうど船岡山の真南に建っています。

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