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風の巻101・ふさわしいもの・・・ふさわしくないもの?

  大阪城天守閣をはじめとする大阪城の遺構は現在では大阪城公園として多くの市民や観光客などに親しまれています。城に付随する様々な建物もそうですが、天守閣にふさわしいものとして「金の鯱(しゃちほこ)」があります。金の鯱は尾張名古屋城のものが特に有名ですが、天守閣に金の鯱を付けたのは織田信長か秀吉かといわれているそうです。信長の安土城はもうありませんので、今では大阪城のものが最初の頃の鯱をしのぶものになります。(今の大阪城のものは復興時のものですから秀吉時代のものでないのは仕方ありませんが・・・)

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 ところで、公園内にはこんな建物もありました。(下の写真です。)

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 これは、大阪市立博物館だった建物です。しかし、もともと博物館として建てられたものではなく、昭和6年に完成した陸軍第4師団の司令部庁舎として建設されたものでした。太平洋戦争では被災をまぬがれて、戦後は大阪市警視庁本部、大阪府警察本部として使われたそうです。府警に移転後には、昭和35年12月大阪市立博物館として再スタートしました。何度かの改修等を経て平成13年3月31日までその役割を果たしとうとう閉館しました。

 お城と軍隊の建物ということでどこか似ているところもありますが、天守閣とこの建物は、どうしても合わないような気がして、大阪城にはふさわしくないと感じましたが、皆さんはいかがでしょう。

 最後に天守閣から眺めたこの建物の姿をみてください。

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風の巻100・天下人の夢

  天下分け目の天王山で戦いに勝った秀吉は、とうとう天下人になり栄華を極めましたが、秀吉と言えばまず思い浮かぶのは、「大阪城」です。(関西人だけかもしれませんが・・・)大阪をはじめ関西では、秀吉とは言わずに「太閤さん(又は太閤はん)」と親しみを込めて呼びます。その太閤さんの象徴が「大阪城」なのです。

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遠くから見る天守閣は屋根の銅版緑青が特徴的ですし、なんとなくお馴染みのイメージです。そんな大阪城へ久しぶりに行って来ました。きっかけは、天守閣復興80周年記念のチラシでした。久しぶりに出かけてみようかとなったわけです。いざ着いて、間近に天守閣を仰ぎ見ると・・・

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こんな姿でした。印象がだいぶ違うように感じましたが、屋根を直接見ない新鮮な感じの久しぶりの大阪城です。実は前に書いたようにこの天守閣は復興されて80年。ということは昭和6年(1931)に復興されたものです。その後平成の大修理を経て現在の姿になりました。・・・

(続く)

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京都の巻107・ちょっと寄り道しますが・・・

  三川合流の見えたところから少し登っていくと、ある神社があります。その名は「酒解神社」です。奈良時代の創建とされかなり古くからの神社ですが、もとは山のふもとにありました。そこには離宮八幡宮という神社もあり、こちらは石清水八幡宮の元社ということで、勢力が強まり、酒解神社は山の中腹に移らざるを得なくなったようです。(石清水八幡宮というのは、伊勢神宮につぐ神社とされているくらい格式のある神社です。)

 

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 この酒解神社、祭神が牛頭天王であったために元は山崎天王社と呼ばれていたので、この山も山崎山だったのが天王山と呼ばれるようになったそうです。これが天王山の名前のいわれです。

 酒解神社の社を少し過ぎたところにカゴノキの巨木がありました。カゴノキ(鹿子木)はバンビのような模様の樹皮なのであればすぐに目につきますが、これほど大きなものは見たことがありません。

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 そこからほどなく頂上に着きます。天王山の山頂は見晴しもあまりよくないのですが、石がたくさん積まれていてちょっと変わった印象です。でも、これが「天下分け目の天王山」なのでした!

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京の巻106・天下分け目の・・・!

 「桐一葉落ちて 天下の秋を知る」・・・幾分暖かい日が続きますが、確実に秋が訪れています。字句通りだと、落葉の早いといわれる桐の葉が一枚落ちたことですでに秋が訪れたと知ることですが、その意味は、わずかな兆候から世の中の変化の兆しを読み取るという意味でしょう。それはそれとして「天下」といういい方は今ではあまり使わなくなりました。

 ただ、「天下分け目の戦い」と言えば・・・関ヶ原の合戦です。その関ヶ原の戦いより前、秀吉が、主君信長の命を本能寺で奪った明智光秀を撃つために、中国地方の盟主毛利元就との戦いを和睦に持ち込んだうえ、急きょ京都へ引き返して戦いに臨んだのが天王山で、この戦いに勝った者が(信長に代わり)天下を取ることになるため、「天下分け目の天王山」と言われました。

 天王山という山は標高270mの低い山ですが、要衝にあります。桂川、宇治川、木津川の京都の大きな河川が一つに合流するところが天王山の東の地で、三川合流の地と呼ばれています。合流後の河川が淀川になるんです。

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 上は、天王山への山道の途中からの眺めです。川とこれをまたぐ道路が見えますが、川は桂川で道路は名神高速道路です。三川合流の箇所を見たかったのですが、樹木が茂ってきていて今では、この山道から見ることができませんでした。川は左側から右へ向かって流れています。

 そこで、写真の展示がありましたので、その写真を撮ってきました。それをお見せします。三川合流の場所は上の写真より右側(下流)に位置します。下の写真の左側に川が三本見えますが、上から木津川、宇治川、桂川で合流後は淀川として大阪湾に流れこみます。

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はじめにこの地を要衝と言いましたが、この三川および淀川の右岸(手前側)には、JR東海道線と東海道新幹線、阪急電車の京都線、国道171号線が通っています。また左岸には、京阪電車と旧国道1号線(現在の京都府道)が通っていて、京都と大阪を結ぶ主要な交通のまさに要衝となっています。

 そうそう、この淀川や宇治川などもかつては水上交通の要路として京都の都と水都大坂を結ぶ交通路でした。幕末の英雄坂本龍馬も船で下ったり、遡上したりしたことでしょう。宇治川から入る伏見の寺田屋は船宿で、龍馬が襲撃されたところ、妻となったお龍さんがいたところとして有名ですね。・・・(続きます。)

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