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森の巻73・どうして、今頃??

 少し過ぎてしまいましたが、秋口に咲く桜が時々話題になります。桜は春と相場が決まっていると思っているので、秋口に咲く桜は目に付きます。これは「十月桜」ということが多いですね。

近所の低い丘へ紅葉はどうだろかとたずねてみたら、少しばかりですが、見事に紅葉しているカエデが何本か見られました。小春日和のぽかぽか陽気の日で、しばしの紅葉狩りを楽しんできました。01 山道の途中に設けられた休憩所でお日様にあたりながら紅葉に見とれていたのですが、ふと目を手前に落とすと、なにやら白っぽい花が一つだけ目につきました。

どうみてもツツジのようです。「えっ!どうして今頃?」と思って、よく見てみるのですがやはり、モチツツジの花が咲いていました。こちらも普通は春の花なんですがね・・・。01_2

決して、春に撮った写真を使っているのではありませんよ。同じツツジの花とバックに紅葉が写っているのが下の写真です。

紅葉の季節に咲く一輪のモチツツジの花・・・。ちょっと珍しいものを見つけて、得した気分になりました。01_3

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風の巻48・ちょっとお勧めです!

 ノスタルジーといえば”郷愁”。ざっくばらんに言えば、心に懐かしさを感じるものでしょうか。でも、その懐かしさはどこから来るのでしょう・・・。風景にも郷愁を覚える景色がありますし、建物や街のたたずまいなどにも何かしら郷愁を感じさせられることもあります。

但馬地域は自然の風景にも郷愁を感じさせるものがありますが、建物にもそれが見られます。03 茅葺の家は昔の風情を醸し出していますし、落ち着きがありますね。

02_2 瓦屋根でも土壁ならやはり懐かしさを感じます。色合いも素敵ですね。01

そんな建物がいろいろと立ち並び、中には蔵造りの建物が音楽堂になったりしている処があります。旧八鹿町の「但馬長寿の郷」なんです。これらの建物は全体の一部で、他に研修施設や宿泊施設もあります。レストランももちろん。写真の施設では、木工、陶芸、農作業など様々な体験も企画されています。

これらのは1998年9月27日にオープンした施設なので、まだ10年余りしか経っていません。それなのに、なぜか”郷愁”を感じてしまうのはなぜでしょう。  ここに来ると”ほっ”とします。皆様にも「ちょっと」ではなく「大変」お勧めの処なんです。

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風の巻47・なんて読むの??

たびたび訪れる但馬地方の一風景をご紹介しましょう。自然豊かな但馬地方はいつ訪れても心休まる気がします。今は養父市となった旧八鹿町に一泊しました。宿舎では、いつものように朝早く起きて散歩に行きます。以前は工事中で通れなかった新しい道が、今回は完成していたので、少し歩いてみました。そこから眺める風景は、なぜか心に染み入る眺めです。Photo 杉木立の間から谷間に集落が臨め、山の中腹には雲がたなびいています。なにげない眺めなのですが・・・。

山の中腹を走る道路なのでおおきな谷部には高架橋が架かっています。橋の欄干の橋柱には橋名板が取り付けられていますので、なんという橋なのか覗いてみてちょっとびっくりしました。 「1020橋」とあるのです。102001 「えっ!?」・・・「せんにじゅう橋?変わっているなー」と不思議に思いました。

でも、「せんにじゅう橋」ではありませんでした。正解は「とわ橋」なんです。「10」は「と」と読めますが、「20」が「わ」とは??です。では、証拠を見せましょう。下の小さな写真をクリックしてください。02

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京の巻73・伏見の十石舟で舟下り(4)

さて、十石舟の短い旅もいよいよ折り返し点に近づきます。 豊臣秀吉が伏見城を築城するのに際し、その建築資材等を運搬するため造られた伏見港跡は、公園として整備されていますが、そのあたりを過ぎると目前に大きな二つの塔が仰ぎ見られます。舟の中からみるとより高く、そびえるように見01えるので少し感激します。

これが三栖閘門(みすこうもん)です。三栖というのは地名ですが、閘門というのは水位差のある河川等を締め切って水位調節して船舶を通行させる施設で、スエズ運河といえば分かるでしょうか。 この三栖閘門は、大正6年の台風による淀川大洪水後の堤防改修が宇治川にも及び豪川との間に水位差が生じたため、船の通行ができるよう建設されたものだそうです。

 当時はまだ淀川の船運は必要だったようで、昭和37年まで続いていたということです。結構身近な時代まで淀川の船運があったとは、少し驚きです。

さて、この二つの塔は今では展望台となっていて、十石船のお客さんがなどが一旦下船して上ります。塔の高さは16.6メートルなのでそれほど高くはありませんが、宇治川本流なども眺められ、眺望はすばらしい所です。今来たほうを振り返ると足元に船着場が見えます。2

右の元閘門の操作場の建物で三栖閘門の歴史や宇治川の歴史などをゆっくり見物して、迎えの舟がくれば、またのんびりと十石舟にゆられて戻ります。

短い舟旅でしたが、なんだかとてものんびり、のどかなひと時でした。よかったですよ。

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京の巻72・伏見の十石舟で舟下り(3)

 伏見十石舟で下る川筋には幾つかの見所があります。最初の写真は、角倉了以がこの水路を開削した記念の石碑です。角倉了以といえば、京の都の水運を飛躍的に発展させた功労者ですが、その最もよく知られる功績は、高瀬川の開削でしょう。京の鴨川の西を南下する人工の河川(水路)として人、物を運ぶ浅瀬の水路をつくりあげました。水深が浅いため底の平らな舟を作ったのです。これが”高瀬舟”とよばれる舟です。高瀬舟といえば、あの森鴎外の名作「山椒大夫Photo」の安寿と厨子王で有名ですよね。

 また、今、紅葉の保津峡を下る保津川下りが盛んな時期かと思いますが、保津川(大堰川)の川幅を広げ上流の丹波(亀岡方面)からの舟運を盛んにしたのも角倉了以親子です。これにより丹波地方から木材などの物資が運びこめるようになり、都の寺社建築や貴族の館、町屋の建物などに必要な木材が容易に手に入るようになりました。 Photo

下の写真は琵琶湖疎水の本線と豪川の合流地点です。写真奥が琵琶湖疎水側で北になり、左右方向が豪川となります。琵琶湖疎水は京都の街中を流下してここ伏見まで流れてきます。そしてその終点となるのが、この豪川との合流点なのです。合流してしばらくは豪川を南下し、やがて三栖閘門を経て宇治川へと流れ出ていきます。

(三栖閘門のことは次回のご照会とします。)

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