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京の巻72・伏見の十石舟で舟下り(3)

 伏見十石舟で下る川筋には幾つかの見所があります。最初の写真は、角倉了以がこの水路を開削した記念の石碑です。角倉了以といえば、京の都の水運を飛躍的に発展させた功労者ですが、その最もよく知られる功績は、高瀬川の開削でしょう。京の鴨川の西を南下する人工の河川(水路)として人、物を運ぶ浅瀬の水路をつくりあげました。水深が浅いため底の平らな舟を作ったのです。これが”高瀬舟”とよばれる舟です。高瀬舟といえば、あの森鴎外の名作「山椒大夫Photo」の安寿と厨子王で有名ですよね。

 また、今、紅葉の保津峡を下る保津川下りが盛んな時期かと思いますが、保津川(大堰川)の川幅を広げ上流の丹波(亀岡方面)からの舟運を盛んにしたのも角倉了以親子です。これにより丹波地方から木材などの物資が運びこめるようになり、都の寺社建築や貴族の館、町屋の建物などに必要な木材が容易に手に入るようになりました。 Photo

下の写真は琵琶湖疎水の本線と豪川の合流地点です。写真奥が琵琶湖疎水側で北になり、左右方向が豪川となります。琵琶湖疎水は京都の街中を流下してここ伏見まで流れてきます。そしてその終点となるのが、この豪川との合流点なのです。合流してしばらくは豪川を南下し、やがて三栖閘門を経て宇治川へと流れ出ていきます。

(三栖閘門のことは次回のご照会とします。)

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