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風の巻41・新しいが古いもの?

 比叡山延暦寺、千二百年の不滅の法灯を守る長い歴史を持つ寺院です。しかし、長いが故にその間いろいろな災難も被ります。学僧のために経典の講義などが行われる道場として、大講堂があります。Photo_2

写真の建物がそうですが、これは新しい講堂です。信長の焼き討ちよりはずっと新しい出来事なんですが、旧大講堂は、昭和31年(1956)の火災による焼失後に、山麓の坂本から移築されたものだそうで、坂本では東照宮の讃仏堂として使われていました。

それでも、その讃仏堂は江戸時代初期の寛永11年(1634)の建立ですから、今から370年余り前の建物です。もう十分古いですよね!

(続く)

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風の巻40・次は比叡のお山です

 愛宕山を京都市内の北西に見ると、北東方面には比叡山が望めます。標高848メートル。愛宕山より76メートル低い高さですが、その山容は威風堂々という感じで威厳が感じられます。それもそのはず、ご存知のように比叡山には、平安時代の人最澄(伝教大師)が草庵を結んで以来千二百年の伝統を守る延暦寺があるからです。

 Photo

 写真は、「根本中堂」です。東塔(とうどう)の中心にありますが、比叡山の中でも第一の仏堂です。ここには、平安時代以来の法灯(仏前に供える灯り:皿に油を注ぎ、灯芯を出したもの)が千二百年のあいだ受け継がれています。それが「不滅の法灯」です。

 1571年の織田信長の比叡山焼き討ちは、全山を壊滅的に破壊しましたが、その時以前に、この法灯は「山寺」として有名な山形の立石寺に分灯されていたため、今でも絶えることなくその灯りをともしています。

(続く)

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風の巻39・おきな岩がごろごろと・・・

 山に行くと、地表面は土であったり、岩盤であったり、いろいろと混ざっていたりと様々です。大きな山岳地帯で印象に残っているのは、南アルプスの鳳凰三山から甲斐駒ケ岳への花崗岩の山体です。そのうち地蔵岳のオベリスクは直立する岩塊に圧倒されます。

 さて、所変わって中国山地の中ほど、段ケ峰という山に珍しいものがありました。「岩塊流」です。かつて氷河期に、岩盤の亀裂に入り込んだ水分の凍結融解により岩が割れ、大きな塊がたくさんできたそうです。Dsc00005 これらの岩塊が氷河の移動とともに谷部に集まり、ひとつの流れのように徐々に流下してきたものようです。

現場の岩塊の大きさは1メートルから4メートル程度のものが多いのですが、中には7メートルもあるものも・・・。「くじら石」と名づけられたものは、シロナガスクジラの顔から胸にかけてのすじのように見えるので、この名がついたと聞きました。(残念ながら、くじら石はみてきていません。)

しかし、似たような石は近くにありました。ちょっと感じは分かるでしょうか?

Dsc00010

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京の巻69・愛宕参りは・・・(4)

 道半ばを過ぎて身体の調子も出てきますが、疲れも出てきます。まだかなーと何度も思う頃、正面に社殿が見えてきました。もう間近なのがわかりますが、ここまでの階段がまた一苦労!しかし、ここで引き返すわけにもいきません。

 ついに、愛宕神社に着きました。Dsc00113 まずは、お参りして、「火廼要鎮」のお札を求めました。その後で、ようやくお弁当です。

社殿の階段を下りたあたりに、広場のようになったところがあり、大勢の参拝者が昼時の食事を楽しんでいます。やれやれという気持ちと、お参りできたという達成感で、お弁当もいっそうおいしくなります。

本当に中学生の時以来ですので、大変久しぶりということになります。Dsc00118

下りは、行きよりも短い時間で下までたどり着けるのですが、ひざに負担がかかります。そんな山麓で、珍しいものを見つけました。その昔、愛宕山にはケーブルカーが通っていたはずです。親からそんな話を聞いていました。山麓近くで見つけたのは写真のような階段状のもの。この階段の横にケーブルの線路が敷設されていたのでしょう。

※後で調べてみると、昭和4年から同19年までケーブルはあったそうです。戦時中の金属供出により、廃止されたまま復活されなかったようです。また、愛宕山頂上付近には駅舎跡も残っているとか・・・。

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