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森の巻42・鞍馬の自然観察(5)

 鞍馬寺の本堂を目指してつづら折の参道を歩いていくと、道の両側にあれこれ樹木が茂っています。そんな中、参道の灯篭の際に、なにやらおおきな葉の樹木が目立ちました。Dsc00044

遠目には少し分かりにくいのですが、近寄ってみると葉の付き方が少し変わっているのに気づきます。皆さんがよく見る広葉樹の葉は、普通枝に1枚ずつ交互に付いているか、同じ箇所から対になって付いていることがほとんどかと思います。あるいは鳥の羽のように小さな葉が向かい合ってたくさん付いているものもたまに見かけるでしょう。

 これらは、互生、対生、羽状複葉という葉の付き方です。しかし、ここで見る樹木の葉はそのどれでもありません。実は互生のようでありながら、1枚ずつではなく、2枚ずつが互生しているのです。(右、右)、(左、左)、(右、右)・・・というふうに枝についています。Dsc00045

 この樹は、その名を「コクサギ(小臭木)」といいます。ミカン科の仲間なのですが、少し臭気がするためこのように呼ばれているということです。

 クマツヅラ科にクサギというやはり臭気のする樹があるのですが、それよりも小型だからコクサギというのが一般的な説明です。しかし、「コクサ」というのは緑肥のことでコクサギの枝葉を緑肥に使う地方もあったことから、(コクサの木→コクサギ)が名前の由来ではないかという説もあります。

 そうそう、今を盛りに赤い花、白い花等を咲かせてているサルスベリ(百日紅)もコクサギと同じ葉の付き方をしているんですよ。(この付き方を「コクサギ型葉序(ようじょ)」といいます。)庭にサルスベリが植えてある方はちょっと見てみませんか・・・。

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風の巻21・にほいおこせよ梅の花・・・

 東風吹かば にほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそDsc00198

ご存知菅原道真が大宰府天満宮で京の屋敷の梅の花を偲んでうたった歌です。博多の町から西鉄電車に乗って大宰府駅まで小旅行。駅前からの参道には名物「梅が枝餅」屋さんが両側にいっぱい並んでいます。

 随分前Dsc00224に一度行ったことがある大宰府でしたが、もうすっかり忘れていて初めて 訪れたのと同じ感覚でした。割合大勢の参拝客(観光客)が見られましたが、ちょっと驚いたのはほとんどが韓国の人たちなのです。6割から7割がそうでしょうか・・・。ちょっと見た目には分からないのですが、話している言葉からはわかります。さすが、博多は大陸からの玄関口ですね。

写真の本殿前に写っているのが「飛梅」で、道真恋しさに京の屋敷から飛んできた梅ということです。ここも京にゆかりの歴史を持つところですね。

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風の巻20・博多は祭りの街!

 風の巻は一ヶ月ぶりでしょうか。今回は少し遠くの博多からです。

 京都も祭りの多いところですが、博多もおおきな祭があります。「博多どんたく」「博多祇園山笠」それDsc00150に「博多おくんち」などはよく知られていますよね。

「博多祇園山笠」と「博多おくんち」は博多の街中にある櫛田神社のお祭だそうです。この櫛田神社は天平宝字元年(757年)に伊勢の松阪から勧請したといわれていますので、相当古い神社です。

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「博多祇園山笠」は、仁治2年(1241)に聖一国師が疫病退散のために町民のかつぐ施餓鬼棚というものに乗って甘露水をまいて祈ったのが始まりとか・・・。いわれは京都の祇園祭りと同じですね。そう、この祭は日本三大祇園祭のひとつなのです。

 この櫛田神社には常設の山笠が展示してあり、すでに本当の祭りは済んでいましたがその雄姿を見ることができました。一方の「博多おくんち」は当社の秋の実りを感謝するまつりだとか。

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京の巻44・鞍馬の歴史観察(2)

Dsc00036  鞍馬といえば”牛若丸”を思い浮かべる人も多いのでは。牛若丸すなわち後の源義経は平治元年(1159)におこった平治の乱で母常盤御前とともに捕らえられましたが、牛若丸は、この年生まれのまだ乳児であったため、死を免れ鞍馬寺に送られたのです。このとき兄頼朝は伊豆に配流されました。

 牛若丸は鞍馬寺のある鞍馬山で日々修行を積んだといわれ、その相手をしたのが鞍馬の天狗とか・・・。これはどうだか分かりませんが、いずれDsc00034にしてもここ鞍馬にいたことは確かなようです。そのときに牛若丸が住んでいたのが「東光坊」で、いまその場所には「義経公供養塔」が建てられています。そして、その向いにあるのが川上地蔵堂です。日々の修行に向かう際にここの地蔵尊に参拝してでかけました。

 今の時代に、牛若丸がいた場所と同じ場所を歩くことが出来るなんて、ちょっと面白いとおもいませんか?鬱蒼たる森に包まれた鞍馬の山はその気分を味わうには十分な雰囲気をもっていますよ。

※平治の乱:保元の乱で勝者となった源義朝(頼朝、義経の父)と平清盛の勢力争いで、後白河法皇と結んだ平清盛が勝利し、平氏の隆盛のきっかけとなった戦いです。

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森の巻41・鞍馬の自然観察(4)

Dsc00033  以前にも紹介した由岐神社は鞍馬寺の境内にありますが、元は宮中にあったものを940年に今の地に請来したものです。その由岐神社の割拝殿を通り抜けるとおおきな三本杉が目に付きます。Dsc00032_1 そのうちの一本が大杉社として祀られている写真の杉です。(これは以前に紹介しました。)

 さらに石段を上がり本殿にたどり着くと、この鞍馬では多く見られる樹種のひとつ「カゴノキ」の大木があります。鹿の子の身体のまだら模様に樹皮が似ていることから鹿子の木(かごのき)と呼ばれています。樹高17mとありますから相当な大木で、暖帯生のカゴノキの北限近くの生育個体としては最大級ということです。

三本杉もカゴノキも昭和58年に京都市指定の天然記念物に指定されました。(ちょっと指定が遅いような気もするのですが・・・。)

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森の巻40・鞍馬の自然観察(3)

 鞍馬寺には大木が結構多いのですが、高木でも本数の少ないものもあります。放生池(ほうじょういけ)のそばにすっくと立っている「カツラ」も数が少ないものの一つ。根元付近からはたくさんの細い枝を出しながらも上のほうではおおきな枝を広げています。その特徴的な姿はなかなか存在感のあるものです。Dsc00022

 この放生池の石垣は江戸時代からのものだそうで、カツラの木もそんな古くからこの池を眺めていたのでしょうか。

 ところで、カツラは漢字では「桂」と書きますが、この桂は中国ではモクセイ(木犀)のことだそうで、桂林には木犀の街路樹がたくさん植わっているとか・・・。香りのする高木ということで木犀と桂が取り違えられたようだということです。

※香出ら(かづら)→かつら【カツラの落葉をかぐと醤油のような甘からい感じの香りがします。】

 京都では葵祭りに使われる植物としてフタバアオイ(双葉葵)とこのカツラの葉が冠などにさされて祭りの参加者を飾ります。

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森の巻39・鞍馬の自然観察(2)

 仁王門を入ると受付があります。そこで入山料200円を払い中へ入れてもらいます。階段を少し上っていくと右側に普明殿という建物が目に付きます。そこは毘沙門天が祀ってあるところなのですが、ケーブルの入口でもあります。

Dsc00019_1  その普明殿の前におおきな葉をつけた大木が立っています。写真では分かりにくいですが、これは「タラヨウ」の木なんです。漢字では「多羅葉」と書きますが、この葉っぱには文字が書けます。鉛筆やペンではなく、細い棒切れで葉の裏をなぞるとしばらくして茶色の文字が浮かんできます。

  (葉に文字を書く) → (葉書:はがき)というわけでこの木は郵便局の木でもあるのです。みなさんの近くの郵便局にも植えてありませんか?

 ところで、なぜ文字が書けるの?・・・葉に棒の先を押し付けることで、葉の細胞が壊れ、そこが酸化することで色が茶色に変わるからなんですよ。

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京の巻43・鞍馬の歴史観察(1)

 今日は鞍馬の歴史観察をしましょう。鞍馬寺は西暦770年創建と伝えられる京都でも相当古い歴史を持つお寺です。現地に行き最初に目に付く建物が仁王門です。そもそもは1182~1184年頃に建てられたそうですが、残念ながら明治24年(1891)焼失したため、同44年(1901)再建されたものです。Dsc00005 それでももう100年以上が経っています。焼失していなければ820年以上も建ち続けていたことになるのですが・・・。

 ただ向かって左側の扉は寿永の頃のものと言われています。寿永という年号は1182,1183年の2年間ですから、創建当時のもDsc00006_1のですね。やっぱりすごい!

 仁王門というからには仁王様がおられるのですが、湛慶作で、明治の再建時に丹波から移されてきたということです。湛慶はあの有名な運慶の嫡男ですので、この仁王様も門と同時代のものといえるでしょう。 歴史はおもしろいですね。

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森の巻38・鞍馬の自然観察(1)

 以前も鞍馬へ行った様子を紹介しましたが、鞍馬山の自然の様子をもう少し詳しく紹介しましょう。とは、いってもそこは歴史に刻まれた鞍馬寺のあるところなので、昔の話もおいおいと交えながらとなりますが、自然の様子がいくらかでも分かっていただけたらと思います。

Dsc00001_1 写っているのは、山門前の石段です。地質的には「石英閃緑岩」という岩なのですが、ここでは「本鞍馬(石)」と呼ばれています。重さがあって、肌理(きめ)は中粒の鉱物からなり堅いものですから、抹茶挽く石臼に使われていたということです。

 そんなことに感心しながら石段を上がると、山門にたどり着きます。Dsc00002_2

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