京の巻109・みごとな親子です!

  1月ももう下旬を迎えました。今日は1月23日で「123」と数字が並びます。今年のスタートが遅くなりましたが、”ぼちぼち”やっていきますので、よろしくお願いします。

 さて、京都のお正月では、お雑煮も白みそ、丸もちで関東とは趣を異にしますが、おせち料理の中でも京都らしいのは、棒鱈(ぼうだら)と子芋のたいたん(煮込んだもの)ではないでしょうか。

  京都では、円山公園にある「いもぼう」がこの料理をだすので有名ですが、お正月はどこの家庭でも作るおせちの定番です。なお、「いもぼう」では、芋は「えびいも」といわれる里芋の一品種を使っているようです。

 

 そんな里芋の親子の姿を写真に撮りました。結構りっぱな芋ではないでしょうか!

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 真ん中奥が、親芋で周りの小さなものが子芋、りっぱな親子ですね。ちなみにこの芋は近所の方が飾り用に買われたものです。門松までついているのは愛嬌です・・・。子孫繁栄にあやかりたいものです。

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京の巻108・師走は来年に向かって

 師走の京といえば、四条南座の吉例顔見世興行も風物詩の一つとして挙げてよいでしょう。恒例の出演歌舞伎役者の名を挙げた「まねき」はつとに有名です。

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 坂田藤十郎、片岡仁左衛門など歌舞伎を知らない私でも知っている役者の名前があがっています。勘亭流という独特の字体が人々の目を引き付けますし、舞妓さんの簪(かんざし)は師走は「まねき」をつけるそうです。京の人々にとっては師走になくてなならないようなものです。

 この「まねき」は縦180センチ、幅30センチのヒノキ板に書かれます。それを約60枚書いて11月25日、四条南座の正面に掲げます。

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 ところで、南座の正面の屋根の上の高いところにも一枚あがっています。アップで見てみると・・・

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 「吉例顔見世興行」と書かれていますが、その上に少し小さく四文字書かれているのがわかるでしょうか。右側が「當る」左は「辰歳」です。すなわちこの看板は「當る辰歳 吉例顔見世興行」と書いてあります。今年は卯歳で辰歳は来年(平成二十四年)になるのに、なぜ「辰歳」と書いてあるのでしょう。

 歌舞伎の顔見世興行は、座元(南座)と役者の来年に向けた出演契約が決まったことをお客さんに知らせるための顔見世なのです。「来年はこのような顔ぶれの役者で演じますので、よろしくご贔屓に・・・」という意味があります。ですから辰歳の来年も興行が當りますようにとの願いが込められています。

 

 今年も、このブログを読んでいただき、ありがとうございました。

 皆様も来年は當り年になりますように・・・。

 どうか良いお年をお迎えください。 (また来年もよろしくお願いします。)

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風の巻103・見どころたくさん!「山の辺の道」

 仏教伝来の地という珍しいところを過ぎ、しばらく行くと金屋の石仏があります。泥板岩に刻まれた釈迦如来と弥勒如来の二つの像が収蔵庫に収められています。格子で覆われていますが、その隙間から覗くと平安末期に造立されたと伝わる像を拝むことができるのです。

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 寺院でもないところに平安時代の石仏は少し珍しいかもしれません。さらに歩を進めると、平等寺という寺にたどり着きます。この寺は明治の廃仏毀釈により完全に廃絶してしまったものの明治13年には翠松寺として再建され、その後昭和52年になってもとの平等寺にもどったものだそうです。いきさつはともかく三重塔もあり見応えのあるお寺です。いい雰囲気に包まれていました。

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 さて、山の辺の道でも随一の見どころ拝みどころといえば、大神神社ではないでしょうか。これで「おおみわじんじゃ」と読みます。又の名を三輪明神ともいい、山体を御神体とするわが国最古の神社のひとつなんです。

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 写真は本殿ではなく拝殿になります。拝殿の奥の三鳥居を通して御神体である三輪山を拝みます。三輪山という御神体は大物主神(おおものぬしのみこと)だそうです。

 途中の道すがら大和三山を遠目に眺めつつ、山すそを縫うように古き街道を歩いていくと美しい白塀が姿を見せました。ここは玄賓庵というところで、平安時代の興福寺の僧である玄賓が隠れ住んだ庵なのですが、別のところにあったものが、明治の神仏分離で現在地に移ったということです。

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風の巻102・古の街道は・・・秋たけなわ

  その名を古事記にも記されている道として「山の辺の道」があります。三輪~天理~奈良の間を結ぶいにしえの道で、およそ26kmあります。古事記には、崇神天皇や景行天皇の御陵が山辺の道の近くにあることが記されています。ですからこの道は7世紀末から8世紀にはあった道のようです。

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 桜井駅から北上していくと初瀬川を渡るところがあります。この川は、大和川の上流にあたりますが通称として初瀬川と呼ぶようです。のどかな秋の風情が感じられる景色でした。

 この川の対岸に大きな石碑がありました。「仏教伝来の地」というものです。仏教が日本に伝わったのは、渡来人らの信仰としてもたらされてきていたと考えられるということですが、正式に国と国の関係で伝来した(仏教公伝)のは、欽明天皇の代(6世紀なかば頃)に百済から伝えられたとされています。この地で釈迦仏の金剛像と経典が伝えられたということだそうです。

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   そんな古いいわれのある地を秋の景色を楽しみながら、歩くのはいいものです。

また、道沿いの民家にもなつかしさを覚えるものがあります。こちらはそれほど古代の姿ではありませんが・・・・

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風の巻101・ふさわしいもの・・・ふさわしくないもの?

  大阪城天守閣をはじめとする大阪城の遺構は現在では大阪城公園として多くの市民や観光客などに親しまれています。城に付随する様々な建物もそうですが、天守閣にふさわしいものとして「金の鯱(しゃちほこ)」があります。金の鯱は尾張名古屋城のものが特に有名ですが、天守閣に金の鯱を付けたのは織田信長か秀吉かといわれているそうです。信長の安土城はもうありませんので、今では大阪城のものが最初の頃の鯱をしのぶものになります。(今の大阪城のものは復興時のものですから秀吉時代のものでないのは仕方ありませんが・・・)

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 ところで、公園内にはこんな建物もありました。(下の写真です。)

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 これは、大阪市立博物館だった建物です。しかし、もともと博物館として建てられたものではなく、昭和6年に完成した陸軍第4師団の司令部庁舎として建設されたものでした。太平洋戦争では被災をまぬがれて、戦後は大阪市警視庁本部、大阪府警察本部として使われたそうです。府警に移転後には、昭和35年12月大阪市立博物館として再スタートしました。何度かの改修等を経て平成13年3月31日までその役割を果たしとうとう閉館しました。

 お城と軍隊の建物ということでどこか似ているところもありますが、天守閣とこの建物は、どうしても合わないような気がして、大阪城にはふさわしくないと感じましたが、皆さんはいかがでしょう。

 最後に天守閣から眺めたこの建物の姿をみてください。

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風の巻100・天下人の夢

  天下分け目の天王山で戦いに勝った秀吉は、とうとう天下人になり栄華を極めましたが、秀吉と言えばまず思い浮かぶのは、「大阪城」です。(関西人だけかもしれませんが・・・)大阪をはじめ関西では、秀吉とは言わずに「太閤さん(又は太閤はん)」と親しみを込めて呼びます。その太閤さんの象徴が「大阪城」なのです。

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遠くから見る天守閣は屋根の銅版緑青が特徴的ですし、なんとなくお馴染みのイメージです。そんな大阪城へ久しぶりに行って来ました。きっかけは、天守閣復興80周年記念のチラシでした。久しぶりに出かけてみようかとなったわけです。いざ着いて、間近に天守閣を仰ぎ見ると・・・

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こんな姿でした。印象がだいぶ違うように感じましたが、屋根を直接見ない新鮮な感じの久しぶりの大阪城です。実は前に書いたようにこの天守閣は復興されて80年。ということは昭和6年(1931)に復興されたものです。その後平成の大修理を経て現在の姿になりました。・・・

(続く)

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京都の巻107・ちょっと寄り道しますが・・・

  三川合流の見えたところから少し登っていくと、ある神社があります。その名は「酒解神社」です。奈良時代の創建とされかなり古くからの神社ですが、もとは山のふもとにありました。そこには離宮八幡宮という神社もあり、こちらは石清水八幡宮の元社ということで、勢力が強まり、酒解神社は山の中腹に移らざるを得なくなったようです。(石清水八幡宮というのは、伊勢神宮につぐ神社とされているくらい格式のある神社です。)

 

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 この酒解神社、祭神が牛頭天王であったために元は山崎天王社と呼ばれていたので、この山も山崎山だったのが天王山と呼ばれるようになったそうです。これが天王山の名前のいわれです。

 酒解神社の社を少し過ぎたところにカゴノキの巨木がありました。カゴノキ(鹿子木)はバンビのような模様の樹皮なのであればすぐに目につきますが、これほど大きなものは見たことがありません。

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 そこからほどなく頂上に着きます。天王山の山頂は見晴しもあまりよくないのですが、石がたくさん積まれていてちょっと変わった印象です。でも、これが「天下分け目の天王山」なのでした!

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京の巻106・天下分け目の・・・!

 「桐一葉落ちて 天下の秋を知る」・・・幾分暖かい日が続きますが、確実に秋が訪れています。字句通りだと、落葉の早いといわれる桐の葉が一枚落ちたことですでに秋が訪れたと知ることですが、その意味は、わずかな兆候から世の中の変化の兆しを読み取るという意味でしょう。それはそれとして「天下」といういい方は今ではあまり使わなくなりました。

 ただ、「天下分け目の戦い」と言えば・・・関ヶ原の合戦です。その関ヶ原の戦いより前、秀吉が、主君信長の命を本能寺で奪った明智光秀を撃つために、中国地方の盟主毛利元就との戦いを和睦に持ち込んだうえ、急きょ京都へ引き返して戦いに臨んだのが天王山で、この戦いに勝った者が(信長に代わり)天下を取ることになるため、「天下分け目の天王山」と言われました。

 天王山という山は標高270mの低い山ですが、要衝にあります。桂川、宇治川、木津川の京都の大きな河川が一つに合流するところが天王山の東の地で、三川合流の地と呼ばれています。合流後の河川が淀川になるんです。

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 上は、天王山への山道の途中からの眺めです。川とこれをまたぐ道路が見えますが、川は桂川で道路は名神高速道路です。三川合流の箇所を見たかったのですが、樹木が茂ってきていて今では、この山道から見ることができませんでした。川は左側から右へ向かって流れています。

 そこで、写真の展示がありましたので、その写真を撮ってきました。それをお見せします。三川合流の場所は上の写真より右側(下流)に位置します。下の写真の左側に川が三本見えますが、上から木津川、宇治川、桂川で合流後は淀川として大阪湾に流れこみます。

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はじめにこの地を要衝と言いましたが、この三川および淀川の右岸(手前側)には、JR東海道線と東海道新幹線、阪急電車の京都線、国道171号線が通っています。また左岸には、京阪電車と旧国道1号線(現在の京都府道)が通っていて、京都と大阪を結ぶ主要な交通のまさに要衝となっています。

 そうそう、この淀川や宇治川などもかつては水上交通の要路として京都の都と水都大坂を結ぶ交通路でした。幕末の英雄坂本龍馬も船で下ったり、遡上したりしたことでしょう。宇治川から入る伏見の寺田屋は船宿で、龍馬が襲撃されたところ、妻となったお龍さんがいたところとして有名ですね。・・・(続きます。)

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風の巻99・とうとう頂上に着きました!

  大和葛城山の頂上はすっかり秋でした。(二等)三角点のある頂上は広場のようになっていて周りの景色もよく見えますので、気持ちのいいところでした。山の秋の定番植物と言えばススキですね。そのススキの背後に大きくそびえるのは金剛山です。Img_4292
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次回はこちらも登ってみたい山です。その金剛山を真正面に眺めながら昼食の弁当をおいしく食べました。のんびりと緩やかな時間を過ごせました。

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風の巻98・自然を歩けばいろいろ当たる?(3)

  いろんなものを見ながら歩いてきましたが、大分葛城山の頂上に近づいてきました。近畿の山ではよく見かける樹木にリョウブという木があります。「リョウブ飯」のことも以前記事に書いたかと思います。樹皮がはがれてまだら模様になるので、割合覚えやすい木です。ただ、単木的に生えていることが多くのですが、今回はリョウブ林ともいえる集団で生えているところを見かけました。ちょっと珍しいように思います。

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上の写真の林分は背の高い木はほとんどがリョウブです。実際は写真に写っているより広い範囲で生えています。日当たりのよさそうな南向きの斜面でした。

 このリョウブの樹皮に似ているナツツバキもありましたので紹介しておきます。こちらもまだら模様ですが、リョウブのはがれた樹皮が幹に残りやすいのに比べあまり樹皮に残らないようです。そのためすっきりした感じの幹に見えます。

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